宮城県にある鹽竈神社(しおがま)神社に行ってまいりました。
鹽竈の名の通り、塩づくりの神様が祀られており、その名は「鹽土老翁神 しおつちおぢのかみ」といいます。
参道をまっすぐ進んで正面にあるのは本殿ですが、実はこの神様は本殿ではなく「別宮」に祀られています。
そして本殿の「左宮」と「右宮」にはそれぞれ「武御雷神 たけみかづちのかみ」と「布津主神 ふつぬしのかみ」が祀られいます。
大和朝廷の神が2人

武御雷と布津主は、出雲の国を実力行使で、大国主(おおくにぬし)から天照(あまてらす)へと引き渡させる主導的役割を果たした神です。
つまり坂上田村麻呂のような軍事的な役割を担ったことを示唆しています。
仙台には多賀城と言って、平安時代の国府(地方行政部)がありました。
ちょうど蝦夷や奥州藤原氏といった勢力圏が仙台以北には広がっていたことからも、当時は仙台が大和朝廷の勢力の北端だったのでしょう。
この2柱の神が東北に祀られていることは、大和朝廷の東北支配の重要な拠点が仙台だったことを意味している気がします。
ちなみに茨城県にある武御雷が祀られている鹿島神宮の本殿は北を向いています。
これは関東の地から東北の勢力への抑止力を意味するといわれています。
日本中の神社を見て回っているだけで、大和朝廷の勢力範囲や統治構造が見えてくるのは非常に面白いです。
歴史を通して残るものには意味がある

塩釜神社にはとても長い階段があります。
実際に鹽竈神社の階段のすぐ近くまでは海岸線だったようです。
おそらく創建以来、津波が襲ったことは何度もあったでしょう。
東日本大震災では東北太平洋沿岸部は、津波によって大きな被害がでました。
だからこそ、これほどの長い階段があるのだと思います。
四国88か所をめぐっていても、高知のお寺などは海岸よりもはるかに高いところに位置しているものがよくあります。
歴史的にみて、その位置に長年、座している神社やお寺には、そこが地形的に安全なことを意味しているといえるでしょう。
地震や台風が頻発する日本で数百年の耐久試験に耐えた実績があるというようにとらえてもよいと思います。
こういう観点から、最近では、明治期に決められた学校や公民館を避難場所にするのではなく、神社仏閣を避難場所に設定する動きもあるようです。
現実に、自然災害を乗り越えて時の試練に挑み続ける建物を見ると、先人たちへの知恵に敬意を払うように気持ちが自然に向かうような気がします。
無理に古いものを残そうとしなくてもいいと思います。
それが古いかどうかではなく、「価値のあるもの」だからみんなが後世に残そうとする。
一発屋のように消えていった「はやりもの」は死屍累々としているはずです。
古くても残っているものは、いつの時代の人間にとっても「価値のあるもの」である可能性は多くあると思います。
「歴史の試練を経て残っているもの」から学べることは多くあると思います。
同時に、「今を生きる我々が生み出しているもので、後世の人々から感謝されるものはいったいどれだけあるのか?」と自問自答すると、一日一日の生き方を反省せざると得ません。
志波彦神社 Shiwahiko Shrine

鹽竈神社の境内の中には志波彦神社があります。
もともとは別の場所にあったのですが、明治になり鹽竈神社内に移されています。
ご祭神の「志波彦大神」はよくわかっていない神様のようです。
ただ「しわ」というのが「端」という意味で、大和朝廷の支配に協力した神様であるという説が有力なようです。
そうなると鹽竈神社の境内には東北統治にかかわった神様が勢ぞろいしていることになります。
鹽竈神社は陸奥の国一之宮ですから、歴史的に重要な拠点であったことに疑いはありません。
ただ京都から遠く離れた地でありながら、当時の朝廷の政策が学べる貴重な場所なのだと訪れて初めて強く実感しました。
鹽竈神社に関係する英語表現

塩:salt
実は、salt は「給料」という意味のラテン語 salarium が「salary」の語源になっています。
これは古代ローマにおいて塩が非常に貴重だったため、給料として払われていたことに由来します。
祭り(まつり):ritual
お祭りというと festival という英単語がありますが、ritual は「儀式」という意味です。日本のお祭りは「神事」であることも多いからでしょう。
氏子(うじこ):the local people who have faith in the particular “jinja”
shrine は必ずしも「神社」を意味する言葉ではありません。