長野県諏訪市にある信濃国一之宮である諏訪大社に行って参りました。
諏訪大社は1つの神社ではなくすべてで4社あり、諏訪湖(Lake Suwa)を囲むように建っています。
上社である本宮と前宮には建御名方神(タケミナカタ)、そして下社である春宮と秋宮にはその妻である八坂刀売神(ヤサカトメ)が祀られています。
冬の諏訪湖では、凍った湖面が膨張と収縮を繰り返すことで、盛り上がった割れ目のような筋ができる自然現象(natural phenomena)が起こることがあります。
これを「御神渡り(おみわたり) God’s Crossing」といって、タケミナカタがヤサカトメに会いに行った証として神事とされています。
この他にも諏訪大社のある信州には多くの謎がありますが、このタケミナカタが諏訪の人々の生き方を象徴しているような気がしていますので、ひとつひとつ見ていきたいと思います。
諏訪大社 上社 本宮 & 前宮
諏訪大社 上社には「本宮」と「前宮」の2社があります。
タケミナカタ(the god Takeminakata)が祀られているのが上社本宮と上社前宮です。
- 諏訪大社 上社 本宮:Suwa Grand Shrine “Upper–Main“
- 諏訪大社 上社 前宮:Suwa Grand Shrine “Upper–Former“
この前宮は位置的な「前 front」ではなく、もともと以前に建っていたところなので「前 former」という意味で「前宮」と呼ばれているそうです。
このタケミナカタという神様ですが、古事記(Records of Ancient Matters)にオオクニヌシ(大国主命)の息子として登場します。
タケミナカタは父親であるオオクニヌシの治める地上世界である葦原中国(あしはらなかつくに)をアマテラス(天照大御神)より譲るよう迫られたときに、強硬に抵抗する神として描かれます。
しかしアマテラスの送り込んだタケミカヅチ(建御雷)により屈服させられ、諏訪地方に逃げ込み、「今後は諏訪から出ない」と誓うことで許しを得たとされています。
結果、オオクニヌシは地上をアマテラスに譲り、地上世界ではなく死後の世界(Netherworld)を治めるために出雲大社で祀られることになります。
しかしこのタケミナカタは日本書紀(The Chronicles of Japan)にも、出雲の風土記(各地方の伝承をまとめたもの)にも登場しないことから、諏訪独自の神であるとの説があります。
諏訪の神話に登場する時のタケミナカタは天から降り立ち、諏訪にいた縄文的な神であるモレヤ(漏矢)と諏訪の支配をめぐって戦います。
そして戦いの結果、モレヤを倒しますが、とどめはさしません。
敗れたモレヤは諏訪明神(タケミナカタ)を守る神ミシャグジとなります。
そのモレヤの子孫が「守矢家」で、ミシャグジ神を祀る宮司となっています。
このタケミナカタにまつわる2つの話は非常に似ていることから、諏訪に伝わる神話が古事記編纂の際に、組み込まれたの説もあるようです。
いまだにタケミナカタはナゾに包まれた神様です。
諏訪大社 下社 春宮 & 秋宮
諏訪大社 下社には「春宮」と「秋宮」の2社があります。
ヤサカトメ(the goddess Yasakatome)が祀られているのが下社・春宮と下社・秋宮です。
- 諏訪大社 下社 春宮:Suwa Grand Shrine “Lower–Spring“
- 諏訪大社 下社 秋宮:Suwa Grand Shrine “Lower–Autumn“
ヤサカトメは古事記や日本書紀には登場しない神様で、夫であるタケミナカタと同様に諏訪地方に固有の神様と言われています。
御柱祭(おんばしらさい) Onbashira Festival
諏訪大社の神事はいくつかありますが、その中でも、最も有名なものは「御柱祭 おんばしらさい」ではないでしょうか。
4つの諏訪大社にはそれぞれ4本ずつ大きな「御柱 large wooden post」が囲むように建てられています。
それらを数え年で7年に1回(実質6年に1回)立て替える神事が御柱祭です。
御柱になるモミの大木を山から切り出し、人間の手で神社へと運ぶのですが、その際に急な傾斜から巨木を落とすことが行われます。
この巨木に何人も乗ったまま一気に坂を下るので、命を落とされる方も少なからずいらっしゃいます。
自然の力を取り入れるということは、自然に命をとられることもリスクとして背負わなければならないのかもしれません。
また御柱祭の歴史は古く、桓武天皇の頃よりやっていたとの記述があります。
桓武天皇といえば、平安遷都を行われた天皇ですので、現存する記録からさかのぼってみても1200年の歴史をもつことになります。
さらに諏訪の御柱祭も一種の共同で行う事業の意味合いがあったとされています。
神事の意味合いとしては伝統というだけでなく、日ごろから人々の連携体制を訓練しておくということでしょうか。
「人は城 人は石垣 人は堀」
これは戦国時代の軍事の天才・武田信玄の言葉です。
それぞれが自分の手柄を求めて「個人主義かつ成果主義」で戦うのが当たり前の戦国時代に、武田軍は部隊運用を重視した戦術をとっていたようです。
普段一緒に暮らしている以上の人数や集団をまとめて運用できたのは、もしかすると諏訪の人たちの御柱祭にもルーツがあるのかもしれません。
狩猟そのものが役割分担をきめてチームで行うことが重要ですし、様々な要素から戦いに優れていた人々であるともいえるでしょう。
諏訪信仰は縄文と弥生の融合
御柱祭が1200年の歴史をもつように、諏訪信仰は非常に古い歴史があり、諏訪大社は日本で最も古い神社のひとつです。
古代の諏訪の人々は諏訪の神様を「農耕 farming」や「狩猟 hunting」の神として祀っていました。
もともと諏訪にいた縄文的な神である「ミシャグチ」という神様はヘビの姿をしているとされているとされています。
ミシャグジ信仰は東日本を中心に分布しており、縄文文化をもつ日本の先住民族の信仰とも考えられています。
ヘビや竜神であるせいか雨や水の神と崇められ、そしてまた海と関連して船乗りの信仰を集め、港町のほとんどに諏訪神社がまつられているようです。
縄文文化はヘビと密接なかかわりがあるという説があります。
そして縄文式土器の「縄文」もヘビの皮を表すとされています。
古代エジプトの信仰と同様に再生の象徴と考えられたからという説が有力です。
日本で最も古い神社の一つである奈良・大神神社の神様もヘビです。
一昔前までは、狩猟の縄文文化を征服し、稲作の弥生民族が日本中に広まったとされていました。
しかし、縄文人と弥生人は平和的に融合していったとの説が有力になっていっています。
その証拠に世界ではよくある先住民族への虐殺の形跡が日本ではなかなか見つからないのです。
モヘンジョ・ダロもアーリヤ人(Aryans)の侵攻でほろんだ文明の遺跡です。先住民の使っていたインダス文字(Indus script)は解読できていません。
アフリカやアメリカ大陸では戦慄するような虐殺と破壊が平然と行われました。その結果、マヤ文明の言葉は解読できていません。
そんな征服民族の歴史ではなく、稲作文化をもつ弥生民族の文化と縄文の文化がバランスよく共存しているのが日本の特徴です。
そして、それが日本の中でもとりわけ顕著なのが信州という土地ではないでしょうか。
近年の科学的な調査では長野(信州)は農耕が伝わった時代がなんと青森よりも遅い時期だということが分かってきています。
稲作の伝播は中部地方につたわったあとに青森に伝わり、そこから南下して信州に伝わっているようです。
つまり諏訪は稲作が伝わったのが本州でもっとも遅いルートになります。
そうなると諏訪信仰の残る信州は弥生文化(大和朝廷)の影響を最も受けにくかった地域と考えることもできます。
もしかすると信州には「最後の最後まで自分たちの仲間を守ろうとする英雄」がいたのかもしれません。
建御名方神、真田信繁、栗林忠道
大和民族の神であるタケミカヅチの攻撃を受けて、諏訪から出られなくなったとはいえ命をとられなかったタケミナカタの伝説はまったくの作り話なのでしょうか?
稲作文化をもつ大和民族の攻勢に最後まで抵抗したのが縄文文化をもつ信州の人々ではなかったのでしょうか。
事実、タケミナカタは関東の武士たちより「武勇の神」として崇敬を集めます。
本来「負け組」とみなされるところですが、圧倒的な強さを誇る敵に対し敢然と立ち向かい、敗れはしたものの命を奪われることなく生き残ったタケミナカタに武人として強さをサムライたちは見出したのでしょうか。
そして「武勇の神」のタケミナカタに負けず劣らずの戦いを繰り広げた「英雄」たちが信州には実際にいます。
歴史ファンならずとも人気のある真田幸村(信繁)は信州・上田の出身です。
父親の真田昌幸とともに2度の上田城の戦いで寡兵ながら徳川軍を相手に縦横無尽な戦いぶりで城を守り抜きます。
そして大阪の陣(the Siege of Osaka)では家康をあと一歩のところまで追い詰める活躍をみせます。
「あっぱれ真田、日本一の兵なり」
これは大阪の陣での真田の攻撃をしのぎ切ったことを徳川方が称えたと伝わる言葉です。
そして信州には日本人が忘れてはならない武人がもう一人いらっしゃいます。
それは長野県松代のご出身の大日本帝国の軍人、栗林忠道中将です。
第二次大戦末期、敗色濃厚な中での硫黄島(いおうとう)において限られた人員・兵站で本土への空爆を遅らせるための防衛任務を担われました。
ちなみに硫黄島(いおうじま)は鹿児島にある島です。アメリカ軍が間違った読み方が広まっています。
栗林中将の狙いは硫黄島で圧倒的な損害をアメリカ軍に与えることで、本土進攻の損害の大きさを考えて思いとどまらせようとするものでした。
もとより自分たちの生還は度外視し、日本の人々のことだけを考えておられたのでしょう。
そして日本軍側の守備の司令官としてアメリカ軍の予想以上の損害を与えるゲリラ戦を展開し、アメリカ軍からもその戦術を高く評価されました。
事実、硫黄島の侵攻を担った Holland Smith (General) はこういっています。
“Of all our adversaries in the Pacific, Kuribayashi was the most redoubtable.”
「太平洋で戦ったすべての相手の中で、栗林がもっとも手ごわかった」
Holland Smith
この激戦が繰り広げられた硫黄島は、いまでは日米による合同慰霊祭(combination memorial service)が行われています。
そして硫黄島に建てられている石碑にはこう刻まれています。
「我々同志は死生を越えて、勇気と名誉とを以て戦った事を銘記すると共に、硫黄島での我々の犠牲を常に心に留め、且つ決して之れを繰り返す事のないように祈る次第である。」
“We commemorate our comrades, living and dead, who fought here with bravery and honor, and we pray together that our sacrifices on Iwo Jima will always be remembered and never be repeated.”
私もアメリカ留学時に、日本軍と戦った祖父を持つアメリカ人に出会いました。そのおじいさんがこう言っていたそうです。
「日本人は強かった(Japanese were good fighters)。だから敵ではなく味方であればよかったのにな。」
逆に「じいさんからお前たちのご先祖はコシヌケばかりだ聞いた。歴史をみてもヘタレばかりで英雄とよべるような奴はお前の国には一人もいない」といわれたらどんな気分になるでしょうか?
その点、我々、日本人は幸せです。
モンゴル、清、ロシア、ヨーロッパ、アメリカと強大国に負けじと戦ったご先祖様たちでいらっしゃるからこそ、世界で日本はナメられなくて済むといっても決して言い過ぎではないと確信しています。
戦いは「勝敗」だけで結果を決められがちです。
敗者ながら「敵ながらあっぱれ」と称される人たちは多くはありません。
「敵ながらあっぱれ」という概念は、戦った相手からのみ受ける称賛であり、別の言い方をすれば「味方ならこんなに心強いことはない」ではないでしょうか。
人類の歴史は血塗られた歴史です。キレイごとではありません。
戦争はかなしいほどに人が多く、簡単に死んでいきます。
ですが狂った時代に仲間を守るために、最後まで死力を尽くした人間を「暴力主義者」とののしる権利が誰にあるのでしょうか。
私も含めて平和の中に生きる人間が、肯定しても否定しても、どこか表層的になるのは否定できないでしょう。
そういった「戦士たち」を正当に評価する資格があるのは戦友と好敵手だけなのかもしれません。
人間というものは困難に打ち勝つことで個人も文明を鍛え上げられていきます。
伝説も含め、信州の小さな土地に劣勢の中でも最後まで戦い抜いた真の英雄が「3人」もいることはすごいことではないでしょうか。
痩せガエル 負けるな一茶 ここにあり
小林一茶
この句を残した江戸時代の俳人である小林一茶は信濃国(長野県)の出身です。
負け戦だからといって、多勢に無勢だからといって、最後まであきらめない強い信念が、信州には神代の時代より脈々と流れているのかもしれません。
「狩猟文化」こそが自然を敬う
御柱祭だけでなく、諏訪大社には「御頭祭(おんとうさい)」と「蛙狩り神事(かえるがりしんじ)」というお祭りがあります。
これらは動物を生贄として捧げる神事であり、諏訪地方が「狩猟文化」の特色をいまだに残しているとされる理由でもあります。
神道の神社として「狩猟民族」の風習がこれほど色濃く残っている神社は非常にめずらしいと思います。
ただ動物愛護の観点からの批判もあり、伝統の継続には賛否両論があります。
さらに動物の立場からすれば神事も何もあったものではないでしょう。
ですが、これだけははっきり言います。
自然に一番敬意を払うのは「狩猟民族 hunting people」です。
狩猟民族は自然が強いものと認め、自らの力を振り絞り自然と戦います。
気を抜けばこちらがやられてしまうので、自然に対し「生きるうえで乗り越えるべき大きな存在」として向き合います。
アイヌには「イオマンテ(くまおくり)」といって、クマを神の化身とみなし、その肉を食べることで魂を天に還すとされた風習がありました。
アフリカのマサイの男性は一人前として認められるために、単独でライオンを狩る必要があるようです。(この風習も欧米人からの批判をうけています・・・)
クマしてもライオンにしても、自然の頂点に立つ動物は人間が生き残るために、その強さにあえて敬意を払いそして勝利するべき存在だからです。
強い相手に敬意を払う発想は決闘やスポーツでも同じだともおもいます。
農耕・牧畜とは自然を支配すること
一方で「遊牧民族」や「牧畜民族(農耕民族) 」は自然を支配する意識を持ちます。
「農耕」は英語で agriculture は「農耕と牧畜」を合わせた意味になり「活きる糧を土地から産出すること」を意味します。
日本をはじめ東アジアでは「農耕」というと豊かな自然に囲まれた里山を想像しますが、西側へ目を向けると全く違った「農耕」が見えてきます。
農耕は本質的に自然を開発するものです。木々を切り倒し、森を開きます。
メソポタミア神話には英雄ギルガメッシュ(Gilgamesh)がヒノキの森の怪物フンババ(Humbaba)を倒す話があります。
このストーリーは「人間が自然を屈服させた」ということを意味し、自然を人間の都合に合わせて管理する文明の始まりとみる説があります。
また焼き畑農業のことを英語で slash and burn agriculture といいます。非常にアグレッシブな表現だと思います。
アメリカの農地など薬剤を大量にばらまくことを前提で造られています。
このように「農耕」には土地と植物を管理下に置く意識が強く見えます。
そして遊牧・牧畜は動物を管理統制し、食肉として殺害します。
品種交配などを重ね、人間に都合の良く従順な品種をつくります。
動物でも植物でも「自然を人間の都合の良い形に管理する」のが agriculture なのです。
また欧米文化圏は「狩猟文化」と言われますが大間違いです。
欧米は「遊牧文化」や「農耕(牧畜)文化」の影響が圧倒的に強いです。
聖書や英単語には動物を管理する対象とみなす「遊牧・牧畜文化」であることが如実にわかる特徴がいくつもあります。
多くの欧米人にとってハンティングはただのスポーツです。サッカーとハンティングは同列なのです。
Game Hunting といって肉を食べるわけでなく、ただ狩りを楽しむだけのハントを意味する言葉もあるぐらいで「神事」とは程遠いです。
アフリカではお金を払って Game Hunting をする広大な土地が欧米人によりビジネスとして経営されています。
アメリカなどでは絶命危機の動物をハントする権利を売り買いするオークションもあります。
もちろん賛否両論あるにしても、絶滅危機にある動物をわざわざ大金を払ってまで殺することが公然と認められるのが欧米圏です。
食べるわけでもないのに「狩猟を楽しむ」というのは日本人の倫理観からいくと許せない人が多いのではないでしょうか?
欧米の「動物愛護」が果たして正しいのかわかりかねますが、実は日本人からすると考えられないような「動物軽視」の文化が存在していることは知識として知っておくべきです。
神事は自然の力への敬意を示すように
そうはいっても、いくら神事とはいえ生贄(sacrifice)の風習は、現代からみれば「野蛮」なのかもしれません。
しかし、神道の神事は本来、自然の大いなる力に敬意を払うという風習であることは絶対に忘れてはなりません。
日本人は自然を神と敬い、天変地異も自然の大いなる力の一部として受け入れる生き方をしてきました。
命は尊い、だからこそ命を頂いて生きることが消費ではなく感謝をもって行われるべきだと思います。
私のカトリックのアメリカ人の友人もこう言っていました。
日本語の『いただきます』は感謝が入っている表現だ。英語(イタリア語)の Bon Appetite は「good appetite 食欲がわく」という意味以上のものはない。だから食事の際は『いただきます』のほうがいい。
外国人、日本人関係なく「悪いからやめろ!」と叫ぶだけの人たちより、冷静に日本の考え方を評価してくれる人たちと意見交換をするべきです。
さらに、この伝統神事は「殺生戒」をもつ仏教が日本に伝わったあとも存続しています。
信州の人々の自分たち独自の信仰への誇りはカンタンには変わらないのでしょう。
神事を行う側も「伝統」だけではなく「自然の力への敬意」をもっと強く主張すべきと思います。
その「自然の力への敬意」が蛙狩り神事以外の形で受け継げる場合に限り、他の選択肢を考慮すべきと個人的に感じます。
諏訪大社に関連する英語表現
御祭神(ごさいじん): Kami (Deities)
日本語の「カミ」に近い概念として deity (複数形 deities)と紹介されています。
信濃国一宮(しなののくにいちのみや): the main shrine of Shinano Province
一宮は明治以前までの各国(地方)ごとにある格式において筆頭とされる神社のことです。
弊拝殿(へいはいでん): ritual hall
ritual は「儀式」という意味です。
拝殿(はいでん): worship hall
worship は「崇拝」という意味です。
本殿(ほんでん): main hall
御宝殿(ごほうでん): Sanctuary
sanctuary とは「聖域」という意味です。ラテン語の sanctus(神聖である)が語源です。
水神(すいじん): water deity
神輿(みこし): god’s palanquin
palanquin とは東アジアで使われた輿(こし)や駕籠(かご)のような複数名で担ぐ乗り物のことです。
勅使門(ちょくしもん): imperial messenger gate
四脚門(しきゃくもん): four-footed gate
これはなかなか面白い英語です。four feet なら4フィートになってしまい。過去分詞の「~ed」がつくことで、無理やり形容詞になり four-footed(四本足の~)という表現になります。
内御霊殿(うちみたまでん): inner spirit sanctuary
下馬橋(げばばし): dismounting bridge
mount が「登る」という動詞です。mountain(山)と同じ語源です。
mount だけで「乗馬、騎馬用の馬」も意味します。
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