このブログは前編・後編構成の「後編」になります。
ユダヤ人の差別の根源を知りたい方はまず「前編」をご覧ください。
ユダヤ人が金持ちなのにも理由がある
ユダヤ人が迫害されるのには聖書の直接的な記述以外にも理由があります。
それはユダヤ人が「お金を持っていたこと」と関係しています。
これはただ単にユダヤ人が商売上手だったということではありません。
それは「金融業(金貸し)」に多くのユダヤ人が従事していたことに起因します。
シェイクスピアのベニスの商人に登場するシャイロックは何の根拠もないステレオタイプではないんです。
そして実は、ユダヤ人によって金融業が営まれた理由にもキリスト教と関係しているんです。
金融業がよくない職業とされていたからこそ、ユダヤ人がかかわっていくことになる流れを見ていきます。
最初に「金融」に関してはっきりさせておかないとダメなことがいくつかあります。
まず金融とは「お金を貸すこと」です。
実は、ユダヤ教でもキリスト教でもお金を貸すことは禁じられていません。
それどころか「お金を貸すこと自体」は許可されており、むしろ人助けと考えれていました。
それでは、金融のなにが良くないのでしょうか?
良くないとされたのは「金貸し」そのものでありません。
お金を貸して「利子を取ることが罪」とされていました。
実際にユダヤ人の信じるヘブライ語聖書にも「利子を取ってはならない」と書いてあります。
この利子を取ることを禁じる記述を実際にみていきましょう。
25 困っている仲間のヘブル人(イスラエル人)に金を貸す場合、利息を取る普通の取り引きをしてはならない。
26 服を借金のかたに取ったら、夕方には返さなければならない。
27 おそらくそれが、彼の体を暖める唯一の物だからである。着る物もなくて、どうして眠ることができるだろう。もし返さなければ、彼はわたしに助けを求めるだろう。わたしは願いを聞き、彼を助ける。わたしは情け深いからである。
Exodus 22:25–22:27(出エジプト記 22章25-27節)
ここでの「わたし」とは絶対神 God のことです。この部分より前の記述は利子以外に関する倫理規定を God がユダヤ人に指示する形をとっています。
また以下にも記述があります。
35 同胞のイスラエル人が生活に困ったら、助ける責任がある。客として家に招き、
36 いっしょに住まわせなさい。神を恐れなさい。金を貸すなら無利子で貸しなさい。
37 決して利息を取ってはならない。必要なものは買い与えなさい。困っている人を利用して、もうけようとしてはならない。
Leviticus 25:35–37(レビ記 25章35-37節)
ユダヤ人、へブル人(ヘブライ人)、イスラエル人は意味は厳密にいうと違うのですが、みんな同じ人たちを表すと考えて大丈夫です。
英語の Wikipedia の「ユダヤ教における金貸しと利子」には詳しい解説が載っているので、興味のある方はご覧ください。
さて、このように利子をとることはユダヤ教でも禁止されています。
では、なぜユダヤ人は金融業を営み、財産を築くことができたのでしょうか?
ここからがユダヤ人差別のどろどろとした部分に入っていきます。
なぜ利子をとれないユダヤ人に「金融業」ができたのか?
お金を貸しても利子がとれないなら、貸し倒れに対処できません。
そもそも金融業としてビジネスを継続することすらできないでしょう。
ではなぜユダヤ人は金融業が行えたのでしょうか?
実は「金を貸しても利子を取ってはならない」には特別な条件があるのです。
その理由は「選民思想」からひも解くことができます。
英語では「God’s chosen people(God に選ばれた民)」という言い方が一般的です。
そもそも God(ヘブライ語では Jehovah)はユダヤ人を助けるために、契約を結んで、特別な庇護を与えることにしたというストーリーになっています。
つまりユダヤ人の信仰するユダヤ教は、民族主義的な性質をもっているんです。
こういう人たちは自分たちとそれ以外を分ける発想をします。
- 我々 We
- 我々以外 They
実際に英単語が存在します。
- Jew(ユダヤ人)
- gentile(ユダヤ人以外)
ただ gentile は「異教徒」という意味です。
ですのでキリスト教徒もつかう単語ではあります。もちろん「クリスチャンでない人々」という意味です。
戦国時代のキリシタンは「ぜんちよ gentile」といって、仏教や神道などの信者を敵視して呼んでいました。
戦国時代の宣教師ルイス・フロイスの著書である「日本記」を読んでいると、仏僧を敵視して呼んだ「ぢゃぼ(diabo 悪魔)」と同じでよく出てくる言葉です。
このように仲間意識の強いユダヤ人なので仲間を特別扱いして守ろうとします。
先ほどのレビ記や出エジプト記でも「仲間のへブル人」や「同胞のイスラエル人」に限定されて、利子についての規定が書かれています。
つまり「利子をとってはいけないという決まり」が仲間のユダヤ人だけに適用されるのです。
聖書の一節にもそう書いてあります。
20 外国人ならかまいませんが、イスラエル人からはだめです。兄弟であるイスラエル人から利息を取ったりするなら、約束の地において、主に祝福されません。
Deuteronomy 23:20–21(申命記23章20-21節)
ユダヤ人はユダヤ人から利子を取ることはできません。
ただ、ユダヤ教が成立したころの古代のメソポタミアやエジプトでは利子をとることは当たり前でした。
そこでユダヤ人を守るために「仲間から利子を取ってはいけない」という決まりができたのだと思われます。
ですがキリスト教徒からすると、別の見方ができます。
ユダヤ人はキリスト教徒に利子を取ってお金を貸すことができます。
逆にいえば、キリスト教徒はユダヤ人へ利子を払うことでお金が借りられるのです。
キリスト教の世界では「利子を取るのは悪いこと」というのはあたりまえでした。
資本主義が世界標準になるまで、そういう世界だったのです。
実際にカトリック教会は Canon Law(教会法)で利子をとる金融を禁止していました。
しかし、なにごとにもお金が必要なときがあります。
腐敗や戦争が引き起こす不安的な社会状況はもちろん、気候変動などでの税収の落ち込みなど、社会を運営するうえで金融が必要なことは明白です。
それゆえ多額の資金を必要とする教会や王侯貴族たちこそ、ユダヤ金融を必要としていました。
ユダヤ人は民族主義的な人たちなので、ユダヤ人脈のつながりが非常につよく、広範囲にわたるネットワークを持っていました。
それゆえカネとモノを調達する能力に優れていました。
つまり「ユダヤ人に頼めば、買えるものならなんでもそろう」という状況だったんです。
そして、ユダヤ人は差別される対象だったので、住む場所も限定されたり、職業も厳しく制限されていました。
それゆえ、キリスト教徒が従事できない金融業が選択肢として残ったという側面もあります。
それと同時に、ユダヤ人がキリスト教徒から「倫理的」に利子をとることが可能ということで、キリスト教社会の都合からも金融業を行う割合が高くなっていったのです。
「金融業」は恨まれる
ユダヤ人がキリスト教徒にお金を貸せるようになると資本主義の基礎が機能し始めます。
王様や貴族、教会が戦争やインフラ整備などをやるにしても、先立つものが必要ですから、ユダヤ人に借りれば費用を賄えます。
ここまでみるとなんだかんだで「共存共栄」に思えます。
実際に王族などと結びつきの強かったユダヤ人はのちに Court Jew (宮廷ユダヤ人)とよばれ貴族の位などを与えられ、特権を獲得していきます。
キリスト教徒の側もユダヤ人の金融ネットワークに頼っていたのです。
しかし話はこれでは終わりません。
そもそも「利子をとることがなぜ悪いことなのか?」という理由を考えなければなりません。
その理由は簡単です。
それは「借りた金を利子をつけて返すのが簡単ではないから」です。
お金に困っているからお金を借りるのに、利子をつけて返すのが楽なわけはないんです。
ユダヤ人に借金をしたものの、キリスト教徒はお金が返せなかったり、利子の支払いに苦しんでいくことになります。
一方、当時の価値観では、金融業で財を成すということは、悪いことをして大もうけをしているように見えるはずです。
そもそもキリスト教会が金融を禁止しているのですから、仮にユダヤ金融が「必要悪」だったとしても、あえて好感をもつことは難しいでしょう。
「キリストを殺した悪魔のようなヤツラが、悪いことをして自分たちよりも豊かな生活をしている!!」
一般的に、金融業にかかわるユダヤ人がこのように見えてしまったことは否定できないと思います。
当時のヨーロッパ世界では、事実上、金融はユダヤ人の独占事業でした。
それゆえ競合参入による利子の低下などもなく、返済条件は厳しかったようです。
こうやってシェイクスピアの「ベニスの商人」に登場する「強欲な金貸し」のシャイロックに代表されるようなユダヤ人の典型的なイメージが出来上がっていきます。
とはいえ、ユダヤ人からしてみれば、お金があれば現実には裕福に暮らすことができます。
差別や迫害を多少受けたとしても、命とお金さえがあればなんとかなりそうなものです。
しかし、世の中そうは甘くないようです。金さえあればなんとかなるというのはユダヤ人にはあてはまりませんでした。
むしろ、お金があったせいでユダヤ人は命まで狙われるようになっていくのです。
「異端審問」で殺されるユダヤ人
聖書に書かれているようにイスラエルはキリスト教になったローマ帝国の支配下に置かれ、ユダヤ人はヨーロッパに広がって暮らしていました。
そして各都市ごとに職業選択や居住地に関する差別はありながらも、ユダヤ人ネットワークを駆使して比較的裕福な暮らしをしていました。
しかし、この状況は様々な要因により、突発的に虐殺を含めた迫害へと急変したりしました。
疫病の流行がユダヤ人の陰謀とされたり、戦争などが起こるとユダヤ人が標的にされたりしました。
Wikipedia の記事に多岐にわたるユダヤ人への迫害が載っているので参考ください。
「ユダヤ人迫害 Persecution of Jews」
「反ユダヤのデマ Antisemitic Canard」
このような反ユダヤ主義的差別とは異なり「金持ちユダヤ人狙いの処刑」も行われることになります。
それが行われたのが「異端審問 the Inquisition」という宗教裁判です。
もともと異端審問はキリスト教会(カトリック)の教えに従わないものを裁判にかけるものでした。
有罪の場合は改宗させたり、追放や投獄など罰を与えたりすることを目的としていました。
しかし、時がたつにすれ異端審問はどんどん暴走していくことになります。
この異端審問が一気に集団の狂気とした例として一番よく知られているものが「Witch Hunt 魔女狩り」です。
社会の変動や疫病などによる不安から「我々が苦しいのは魔女のせいだ!」と集団が恐怖にかられ、密告と拷問により多くの無実の人々が処刑されていきました。
そして「魔女」だけでなく密告と拷問よる処刑は「ユダヤ人」にも広がってきます。
1300年代のスペインでもユダヤ人に対する憎しみから迫害行為が行われていました。
この時代のキリスト教徒はイスラムに支配されたイベリア半島(今のスペイン・ポルトガル)を取り戻しつつあり、宗教熱も高まっていました。
そして1492年、スペインにいるユダヤ人に「キリスト教徒に改宗するか」それとも「国外に出ていくか」の選択が突き付けられます。
国外に出ていった者もいましたが、キリスト教徒に改宗しスペインにとどまったものもいました。
ただ、このような改宗の強制はユダヤ人だけでなくイスラム教徒にも適応されたものです。
異端審問は「キリスト教の異端を審問する」ものです。
それゆえ、教会にはキリスト教徒でない人々を審問する権限がありませんでした。
しかし、当時のスペインではユダヤ人であってもキリスト教徒に改宗する義務が生まれました。
こうなったことで、ユダヤ人を異端審問にかけることができます。
そして異端審問にはある側面があります。
もし異端者を処刑した場合、その人物の財産は国家の財産として没収できました。
スペインでも王族・貴族はユダヤ人相手に多額の債務を抱えていました。
それゆえユダヤ人を異端審問にかけ処刑することで債務帳消しと財産没収を狙います。
当時の法律では「有罪」の判決には「自白」が必要でした。
さらに「自白」を引き出すために拷問も認められていました。
早い話が、スペインの王侯貴族が行ったのは「無実のユダヤ人を密告し、裁判にかけて、拷問で無理やり罪を自白をさせ、処刑して、財産を没収する」ということです。
それゆえ金持ちユダヤ人を狙って、王侯貴族が密告を行い、教会が異端審問にかけるケースも多かったようです。
スペインの異端審問に関して、当時の民衆の記録などから「金持ちほど狙われる」というのが世間の認識だったようです。
下記の Wikipedia の記事内の「7.1 confiscations(財産没収)」の項目が参考になると思います。
「スペインの異端審問 Spanish Inquisition」
ちなみにスペインでの異端審問を終わらせたのはナポレオンです。
フェルディナンドとイサベラの時代から1808年まで300年近く断続的に行われていました。
ユダヤ人虐殺はヒトラーだけのせいなのか?
日本人にとってヒトラーやナチスばかりが世界史の教科書などで取り上げられますが、彼らが特別なのではありません。
キリスト教文化圏というのは「ユダヤ人のせいだ!」と叫べば「そうだ!そうだ!」と呼応することが当たり前の社会だったのです。
当時のナチスはフランスやオーストリアなど強国をも制圧し、ヨーロッパ全体でみれば広大な地域を支配下にいれていました。
ヨーロッパ中に広がる鉄道網を駆使して、ユダヤ人を大量に輸送し、Death Camp ともよばれる強制収容所へと送りつづけていました。
同時にナチスドイツは、東はソ連、西はイギリス・アメリカと二方面作戦を展開せざるをえなくなります。
こんなに不利な状況で、特定の民族(宗教)を狙って大規模な虐殺を組織的に行うなど、戦略的に到底理解しがたいことです。
そもそも金を持っているぐらいで目の敵にして、100万人単位の虐殺などできるわけがありません。
ただ虐殺によってユダヤ人から没収した財産を戦費に充てていたという事実は存在します。
もちろんユダヤ人みんながお金持ちではありません。
なけなしの財産をナチスに没収された挙句、殺された人たちもたくさんいます。
ナチスに対して財産の拠出で協力すれば、助けてもらえると思っていた人も多かったようです。
ナチスは同性愛者も虐殺している
日本ではナチスによるユダヤ人迫害が強調されますが、ナチスは同性愛者も迫害していました。
Wikipedia にも記事が載っています。
これは英語版ですが日本語ページも存在しています。
なぜそんなことになっているのか?
それは「同性愛者を殺すこと」が聖書に「正しいこと」として書かれているからです。
If a man lies with a male as with a woman, both of them have committed an abomination; they shall surely be put to death; their blood is upon them.
(同性愛にふける者は、二人とも死刑に処せられる。それは彼らの責任である。)
Leviticus 20:13 レビ記20章13節
バレンシアで行われたスペイン異端審問でも、同性愛が理由で貴族や聖職者も火あぶりにされています。
キリスト教による同性愛者への迫害とは「聖書」を根拠にした「正義の実行」でした。
ナチスの正義はヒトラーの狂気なのか?
ナチスによるユダヤ人虐殺はヒトラーがドイツ国民を扇動して狂気に駆り立てた結果だというような評価もあります。
しかし、それはヒトラー個人やナチス幹部だけに罪をかぶせすぎではないでしょうか?
実際にヒトラーがやったことはキリスト教文化圏である「当時のヨーロッパ社会の正義」に従ったものもたくさんあります。
ナチスの優勢思想は人間を「優秀な人間」と「劣った人間」に分ける考え方が根底にあります。
そして、それは哲学者ニーチェの「超人」と「人間」をわける考えに根差しているという分析もあります。
しかし、それはそもそもキリスト教の「人間が賢くて偉い」「動物は劣っている」という思想に根差してはいないでしょうか?
それがひいては「人種差別」につながっていないのでしょうか?
- ユダヤ人迫害
- 同性愛者迫害
- 人種差別:白人(white)が賢くて倫理的な人間、色つき(colored)は知能の劣った動物
ぜんぶ、キリスト教となにかしら関連が見えるものです。
すくなくとも私にはこれらは、ヒトラー個人とナチス幹部だけの思い付きとは到底思えません。
最後にユダヤ人に対する虐殺に関する Wikipedia 記事へのリンクを添付しておきます。
歴史・宗教・思想を学ぶと世界がつながる
ユダヤ人迫害ですら過去のことではありません。
キリスト教とはなじみの薄い日本人であっても、こういった歴史・信仰・宗教を知識として知っておくべきだと思います。
海外のニュースを見て「なんでこんなことになるんだ!?」と思うとき、それは歴史や宗教、思想が大いに関係していることもたくさんあります。
それはひるがえって日本も同じで「なんで日本人ってこうなんだ!?」と海外の人が思うときがあるはずです。
そういう時こそ、日本や中国、インドなどアジアの歴史や宗教、思想を知っていることが、相手の納得を引き出すヒントになる可能性は大いにあります。
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