『天皇は英語で Emperor(皇帝)と訳されますが、なぜ「king 王」ではないのか?』
こんな質問を外国人から受けたことがある日本人も多いのではないかと思います。
これはなかなかに深い質問でシンプルに説明するのは難しいです。
そもそも日本や中国の価値観での「皇帝と王」と、英語の「エンペラーとキング」は全く同じ意味ではないからです。
それに加えて日本と中国の歴史的な関係性を知ることで「天皇 = Emperor」となった理由が見えてきます。
そもそも天皇より先に「皇帝」や「エンペラー」に関する中国史や世界史をよく知らないという方は、次の2つのブログ記事を読んでもらえると役に立つとおもいます。
中国の皇帝とは?
中国の皇帝と王は中華思想と言って、中国が世界の中心であるという原理原則に基づいて称号が決められています。
世界の支配者が「皇帝」であり特に「皇」の字が「王の中の王」を意味します。こういった天皇と皇帝の関係性や漢字の意味合いなども含めて解説しています。
ヨーロッパの皇帝とは?
英語のエンペラーはローマ帝国の将軍のタイトルであるインペラトルに由来します。同時にローマは様々な周辺国を統治した文字通り「帝国」になります。
しかし、ローマ帝国がキリスト教国となったことで、ローマ皇帝はキリスト教の守護者としての意味を持つことになります。
ここから皇帝(エンペラー)の意味が王(キング)とは中国とは違う意味合いになって使われていくことになります。
キリスト教の視点からの解説はあまりされていないようなので、詳しく解説しています。
はじめに中国ありき
そもそも東アジアでは中国が文明の中心で、その力はあまりにも強大でした。
唐の時代のGDPは世界の半分以上を占めていたのではないか、とも言われるほどです。
大和朝廷が成立する以前、日本は中国からは「倭」や「東夷」などとバカにされた言い方で呼ばれていました。
卑弥呼の話が載っている「魏志倭人伝」にある「倭人」とは「ちびジャップ」という意味です。
また後漢書東夷伝にある「東夷」とは「東に住む獣のような奴ら」という意味で、日本もひっくるめて東に住む民族をまとめてよぶ蔑称です。
現代では「小日本 シャオリーベン」というのが日本人の蔑称らしいです。
このように中国は自分たちの住む土地が世界の中心であり、ここから遠ざかるほど文化水準が獣のレベルへと近づくという思想を持っていました。
これを中華思想(sinocentrism)といいます。
大王から天皇へ
弥生時代のころ国力が弱かった日本は長らく我慢をしていましたが、少しずつ力を蓄えます。
近畿地方を中心として成立した大和朝廷はこのような扱いに対し黙っていませんでした。
ながらく日本のトップは「大王 おおきみ」と自らを読んでいました。
しかし、天武天皇の時代から「天皇」という表現がつかわれた木簡が見つかっています。
天武天皇の前の天皇である天智天皇は朝鮮半島の情勢をめぐって唐と協力する姿勢をみせていました。
しかし中国(唐)は「以夷制夷」といって「野蛮人同士を戦わせて自分に有利にする」という手段をとるのが普通です。
このまま唐と協力しても、朝鮮半島の次は日本がやられてしまいます。
天智の弟である大海人皇子(天武天皇)は危機感を抱いたのでしょう。
唐に対する支援を準備するなかで天智天皇は亡くなります。
その死についてもいまだに謎が多いままです。
さらに天智天皇の後継者争いである壬申の乱の勝利者が大海人皇子である後の天武天皇です。
天武天皇は唐に対する協力姿勢を一気に転換し、国家の体制を整えます。
この時に「天皇」という称号をつくったと考えられますが「皇」をあえて入れることで「中華皇帝とは対等である」と内外に宣言したといえます。
聖徳太子が日本の立場を示す
日本のなかでは「天皇」という称号はつかわれるようになりましたが、勝手に言っていても話になりません。
外国と交渉するときにこそ、その称号がどう受け取られるかが重要になるからです。
さて日本の歴史の中で「日本は中国と対等なのだ」と突きつける手紙を送った人物がいます。
その人物が、かの有名な聖徳太子です。
「出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや。」
ざっくり訳すとこんな感じです。
「太陽の昇る国の天子(天皇)から太陽の沈む国の天子(隋の皇帝)に手紙を送ります。おげんきですか?」
天子とは地上の支配権を天から与えられた者のことなので、皇帝と同じ意味になります。
そのため聖徳太子の「タメ口をきいた手紙」に中国(隋)の皇帝である煬帝(ようだい)は烈火のごとく怒ったとされています。
もちろん、隋は巨大な国なのでモンゴル(元)と同じように大軍勢との戦争になった可能性もあるので、一概に良いことともいえないかもしれません。
聖徳太子の時代には「天皇」という称号はつかわれてはいませんでしたが、「天子」という称号をつかうことで、日本の姿勢を中国に示したとされています。
日本の天皇は中国の皇帝と対等
天武天皇の時代のころ大和朝廷の基盤が固まり始めるにつれて、日本は「中国!日本をなめんなよ!」という気概を見せていきます。
当時の強大国である唐がどんどん周辺国を飲み込んでいく姿を見て、日本も奮起せねば!とおもった日本人も多かったことでしょう。
日本が日本であるためには「天皇」である必要がありました。
「日本国王」や「倭王」ではダメなのです。
天皇ということばの語源には諸説あります。
しかし「皇」という字が入っている時点で、天子&皇帝である中国の君主に匹敵するものだと、漢字文化圏の人間には十分にアピールできます。
平将門は関東で挙兵したさいに「新皇」と名乗りましたが、「皇」の一字で「天皇」に値するものだと示せるとわかっていたからです。
もし「○○国王」と使ってしまったら、中国の子分になってしまいます。
日本の歴史上にも、足利義満も「日本国王」となることで中国との貿易で莫大な利益を上げ、政権を盤石にしました。
そののちにも、中国や朝鮮半島と貿易をして力を蓄えた大内氏は「日本国王」を勝手に名乗っていました。
一方で、中国周辺の遊牧民族のように匈奴の「○○単于」やモンゴルの「○○汗」みたいに、勝手な称号を使えば「野蛮人の勝手な言い分」とされてしまいます。
つまり「天皇、天子、帝」と自称することは「日本の君主は中国に屈しない」と宣言していることと同義になります。
中国が見上げる相手でなくなる
しかし、このようなタメ口メールを送りながらも、遣唐使を派遣し、大陸の文化を取り入れる交流はつづいていました。
ですが唐の衰退期になると「あんなボロボロの国に何を学べっていうねん!」というような意見も生まれてきます。
特に仏教が迫害を受け、僧侶が虐殺されるようなことも起こると、次第に日本は「中国かぶれ」をやめるようになっていきます。
ちなみに遣唐使廃止を推進したのは天満宮に祀られている学問の神様、菅原道真公です。
道真公は幼少より漢詩の達人ではありましたが「中国かぶれ」ではありませんでした。
また遣唐使廃止のきっかけになったのが天台宗のトップになられた慈覚大師・円仁さんが遣唐使として過ごした唐での仏教の弾圧や政治の乱れを記した「入唐求法巡礼行記」と言われています。
こうして中国文化から離れていく中ではぐくまれてゆく日本独自の文化が国風文化とよばれるものです。
天皇の英訳は Emperor 以外はありえない
歴史的事実としては、天皇の英訳が Emperor となったのは明治時代です。
戦国時代の宣教師が Mikado とよんだり、Emperor もふくめていろんな呼び方をされていました。
海外でどのように天皇を呼ぼうともそれはその国の勝手ですが、外交的に正式な称号として英語にするなら Emperor でなければなりません。
いろいろな方が「天皇がエンペラーになったのは明治期の翻訳が Emperor だったから」とおっしゃっています。
しかしこれはあくまでも「経緯」にすぎません。
天皇は大日本帝国になる以前からずっと存在し、そして天皇とは「中華皇帝に並ぶもの」としての称号になります。
天皇のことを「帝 みかど」と読んだり「天子」と呼ぶのはそういう理由です。
中国が天子だから、日本も天子であり、もし中国のトップが「ペコポン」なら日本も「ペコポン」になっているでしょう。
だからこそ、それを知っている同じ東洋文化圏の韓国は、天皇の格下げ表現として「日王 イルワン」を使っています。
だから令和になって「上皇」になられた時も「上王」になってしまいました。
さらに日本が日清戦争で勝利した後に韓国は独立して「大韓帝国 Korean Empire」になりました。
中華帝国の清から独立するには「帝国」になる必要があるんです。
「王国」はアジアでは中華帝国の支配下という意味になってしまうからです。
こういう「中華圏のマウンティング」の知識があってこそ、「王国」と「帝国」そして「国王」と「皇帝」の意味の違いが正確にわかります。
明治の日本としては「天皇」の翻訳語は「中華皇帝」に対応する称号でなければ絶対に受け入れるわけにはいきません。
また、もし皇帝でも王でもない称号を使うと野蛮人の自称にされてしまいます。
たとえば匈奴(きょうど)のボスは単于(ぜんう)ですし、蒙古(モンゴル)のボスは汗(ハーン)です。
天皇の英訳が Emperor が正統である理由のロジックはこうなります。
・中国の皇帝はエンペラーと訳される。
・ならば日本の天皇もエンペラーだ。
そして同時にこういう理屈も成立します。
・またヨーロッパに目を向ければ、古代ローマ伝統を受け継ぐ正当な後継者がエンペラーだ。
・ならば万世一系で日本の正統な君主である天皇もエンペラーだ。
当時の事情を考慮すれば、適当に「天皇 = Emperor」ではなく、明確な意図をもって訳を当てていると想像できます。
これは外国側の事情ではなく、日本側の意図になります。
日本として中国や朝鮮に卑下されないような称号であったので、そのままにしてあります。
もし仮に外国人が “king” を「天皇」の翻訳語に当てていたら、必ずひと悶着あったはずです。
問題なく現代まで来ているのは「天皇=皇帝=エンペラー」で正解だからです。
大日本帝国の君主だから Emperor ではない
天子や帝、天皇という表現が中国の皇帝と対等の称号であることは東アジアの文化圏内なら「常識」の扱いです。
しかし、そんな日本人、中国人、台湾人、韓国人などにとっての「常識」は欧米人にはそうではありません。
欧米圏では大日本帝国 (the Japanese Empire) の君主という意味だから Emperor なのだ、とよく勘違いされているの拝見します。
いわゆる「Emperor 皇帝」とはヨーロッパの場合は2つ可能性があります。
① ローマ帝国の正統な後継者
② 多くの国を従える国の絶対的権力者
しかし中国に目を向ければ、意味が違ってきます。
もちろん、他国の「王」を従える者という意味も含んでいますが、「世界を支配する王の中の王」という強大な権力を誇る君主の称号の意味合いが強くなります。
日本にとって長らくの間「天皇」は中華皇帝と対等であり日本の正統な君主であるという称号でした。
しかし台湾・韓国を併合したことで、名実ともに大日本帝国(the Japanese Empire)になります。
ここまでの経緯で見れば王 (King / Queen) が統治する大英帝国(the British Empire)やスペイン帝国(the Spanish Empire)と同じに見えます。
ですが、欧米の歴史で日本が絡んでくるのは the Japanese Empire が初めてなのです。
モンゴルが中華帝国の「元王朝」として日本に進攻してくる時に、はじめて歴史の教科書で出会うことと似ているかもしれません。
それゆえ、植民地を失った結果イギリスもスペインも帝国ではなくなったのと同じで、日本も第二次大戦後に大日本帝国ではなくなったのだから、君主も皇帝ではなくなる、と思う人もいるのではないでしょうか?
さらに言葉の意味だけで考えると、 king は血統による正統な君主としての意味合いがつよいので「万世一系」をうたう天皇はよけいに king が適訳にみえるのかもしれません。
もし欧米人から「なぜ天皇は Empeoror なのか?」と尋ねられたら、ヨーロッパと中国の「皇帝」の違いを歴史的背景から説明する必要があります。
その解説を踏まえて、こう伝えるべきでしょう。
日本はもう帝国でもありません。 大日本帝国は存在していないのですから。
それにもかかわらず日本国には「天皇」も「上皇」も存在しています。
なぜなら日本が帝国であろうとなかろうと日本に「天皇」は存在してきました。
中華皇帝と対等であるという意思表示で「天皇」をいただき、日本は「独立国」だったのですから。
外国人と英語で会話するには世界史の知識が必要
日本語と英語には直訳で意味が通じるものもたくさんあります。
しかし「天皇」のように「なぜ emperor となるのか?」には歴史的経緯からみて考えなければなりません。
翻訳語の経緯だけみても、本質は見えてきません。
日本の英語教育では世界史の教養や信仰(とくにキリスト教)が完全に抜け落ちています。
基本的な歴史や信仰の知識があるだけでも、英語力には大きなプラスになります。
英語を学ばれる場合はヨーロッパ史とキリスト教も同時に学ばれるとよいかと思います。
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