日本で英語教育に対する熱意はどんどん上がってきていると思います。
日本では和訳中心であったり、テストのための4技能が大きく話題に上っているように思います。
しかし本当に重要なのは「テストで評価する英語力」ではないと思います。
世界の知識や技術は英語に集まって来る
英語が事実上、「世界共通語」であるということに異論は少ないと思います。
そうなると当然ながら、世界最先端の技術開発や研究も「英語」で行われます。実際に英語の Wikipedia の記事を引用してみます。
“English is the most commonly used language in the sciences with Science Citation Index reporting as early as 1997 that 95% of its articles were written in English, even though only half of them came from authors in English-speaking countries.”
「英語は科学分野で最も一般的に使用されている言語であり、Science Citation Index(科学論文の引用指数のこと)をみると、論文の95%が英語で書かれていると報告されているが、英語圏の国の著者による論文は半分にすぎない。」
English-speaking_world – Wikipedia
つまり最先端のことや、複雑なことを理解するには高いレベルの英語力が必要になってきています。
実際に情報技術(IT)など最先端の技術は英語でなければ最新情報にアクセスできないという現象も起きています。
情報技術の根幹をなす多くのプログラミング言語は「英語」のような構文で成り立っています。
また私のような最先端のことと縁遠い者でも、英語で調べ物をするとき「英語の Wikipedia」の情報量はすさまじいと感じます。
英語の記事の数だけでも日本語のページの数倍になっており、内容も圧倒的に詳しく書かれているものが数多くあります。
世界の歴史や哲学など、日本語では情報不足になりがりなことや、調べにくいこともどんどん調べることができます。
そして、日本語に入ってきている、いわゆるカタカナ語、外来語なども英語がわかればすぐに意味が理解できるものが数多くあります。
また自分の会社を始めるにあたってホームページのアクセス解析などの情報ツールを使い始めました。
その時も、日本語の情報があまりにも乏しいので、使用言語を英語表記にして英語で用語を調べたときにわかりやすいようにしました。
わたしのようなスモールビジネスですら、英語がないと情報不足に陥ってしまうんです。
英語で重要なのは「テストや問題を解くこと」ではないんです。
英語の価値が本当にわかってくるのは「英語を自由に運用できるようになってから」です。
英語で情報を直接つかめるようになったとき、英語の持つ圧倒的なポテンシャルが理解できるようになります。
英語は世界中の人々が使うもの
日本で英語教育をやっていると「英語 ⇔ 日本語」の変換作業をたくさんさせられます。
しかし英語は日本語に翻訳するために存在するではありません。
英語は日本語とちがって世界中の人々が話します。
とくに高い教育を受けた人たちならほぼ全員ちゃんとした英語を話せます。
また先ほどのの Wikipedia の記事(English-speaking world)によると、第2言語も含めて世界中で英語を使える人は「4~20億人」ほどと推測されるようです。
ここまで数字がばらつくのは第2言語としての英語が多くの割合を占めているためです。
もはや英語は「英語ネイティブが話す言葉」というレベルをはるかに超えて運用されているんです。
そうなってくると「世界言語(lingua franca)」として英語を見る必要がでてきます。
古代アジア地域では中国語(漢文)が国際標準だったことと同じです。
中国語をネイティブで話せなくても、漢文を読むことが日本人の教養の一部でした。
そのおかげで日本、中国、台湾などでは「漢字」の理解をある程度、共有することができます。
昔のヨーロッパでもラテン語が国際語でした。
そうなるとラテン語があらゆる領域で使われるようになります。
当然、英語にもラテン語の表現などは学問や法律などをはじめたくさん見つかります。
このような世界中の人々が使う言葉にはいろんな国や文化の情報がどんどん集まっていきます。
そうなると「世界のあらゆる人と共有する価値観」を英語を通して伝えることが重要になってきます。
英語を言語としてでなく「世界の人と協力しあう共通の基盤」として捉える視点を強くもってほしいと生徒さんたちに伝えています。
それが、あるま・まーたが英語教育に込める思いでもあります。