令和の時代に入っても、NHKのニュースでニューヨークで起こったユダヤ人に対する暴力事件が報道されていました。
高校の英語教科書でもヒトラー率いるナチス・ドイツによるユダヤ人迫害がテーマとして取り上げられています。
こういった迫害からユダヤ人を救ったドイツ人のオスカー・シンドラー氏や日本人の杉原千畝(すぎはらちうね)氏も有名です。
シンドラー氏は自身の工場でユダヤ人を雇用することで虐殺から救いました。
日本の外交官であった杉原氏は、ユダヤ人の国外退去を助けるために日本行きのビザを発行し続けました。
このようにユダヤ人迫害をテーマとした話は日本でもよく知られています。
こういった「反ユダヤ主義」は英語で antisemitism といいます。
これは一般的に「ユダヤ民族」に対する用語です。
宗教としての「ユダヤ教」に対しては anti-Judaism という用語があります。
ただ、これらの明確な区分や定義についてはいまだに議論があるようです。
さて、おそらく日本人の多くは、なぜユダヤ人が殺されるほどに恨まれている理由をよく理解できないのではないでしょうか?
- ユダヤ人がお金持ちだから恨まれた。
- 権力者が民衆を引き付けるため憎悪をあおった。
日本でよく見聞きするのは、こういった理由ではないでしょうか?
私は子供のころ両親に「なぜユダヤ人はナチスに大量虐殺されるほどに嫌われているのか?」と尋ねたことがあります。
両親の答えはこうでした。
シェイクスピアの書いたベニスの商人(Merchant of Venice)いう本があってな。その中で、ユダヤ人はめちゃくちゃ悪いやつに書かれているからとちゃうか?
実際にベニスの商人の中にユダヤ人の金貸しとして登場する Shylock(シャイロック) は強欲な人間として描かれています。
しかし「シェイクスピアがユダヤ人差別の原因」というのは答えからいうと不十分です。
かりに、英文学の歴史における最も偉大な作家とも称されるシェイクスピアがユダヤ人差別の根源だとしましょう。
それにもかかわらず、反ユダヤ主義の「根本的な原因」として、シェイクスピアが断罪はおろか非難される様子はありません。
ここですこし断っておきますが、「ベニスの商人は antisemitic (反ユダヤ的)な文学だ」という批判は存在します。
またナチスがこの本を反ユダヤ主義をあおるプロパガンダに利用した事実もあります。
しかし、「反ユダヤ主義の根本原因である」とは言われていません。
シェイクスピアに限らず、ユダヤ人差別は「欧米文化圏の常識」に関連しています。
その「欧米文化圏の常識」とは「聖書の記述」になります。
「聖書 the Bible」とは何か?
ここでいう「聖書 the Bible」とはキリスト教の経典です。
bible はギリシャ語で「本」という意味です。
最近はビブリオバトルなる言葉も日本語になじみつつありますが、同じ語源です。
ですので「the Bible」は英語で表現すると「the Book」という意味です。
あえて「the + 大文字」になっているのには意味があり、「みなさんよくご存じ、あの特別な本」という意味です。
聖書の構造は大きく2つにわかれています。
- 旧約聖書 the Old Testament
- 新約聖書 the New Testament
旧約聖書 the Old Testament
主に、世界の創造や God が人間を作った話からユダヤ人の歴史と戒律について書かれています。
旧約聖書の内容はユダヤ教の経典である「Hebrew Bible ヘブライ語聖書」に準拠しています。
また「testament」とは「約束」という意味です。
God と契約をして God の指示を守り、God に守ってもらいます。
欧米は「契約社会」といわれるのは、そもそもこういう文化だからです。
新約聖書 the New Testament
主に、イエス・キリストと弟子の話が書かれています。
しかし最後の章である「ヨハネの黙示録(John’s Book of Revelation)」には世界崩壊からキリストの復活とキリスト教徒の救済について書かれています。これは「予言」の扱いになります。
またイスラム教徒からみても、ユダヤ教徒やキリスト教徒は経典の内容を共有している人々です。
それゆえ、そのほかの宗教(彼らからいえば間違った信仰)を信じる人たちとは別格の扱いで「経典の民(People of the Book)」という呼び方もしています。
もちろん、これら聖書の解説はあくまでも概要になります。
聖書の細かい内容や記述にしても、もちろん各宗派によって重視する部分とそうでない部分などがあったり、解釈の差異もでてきます。
基本的な知識として受け取っていただけるとありがたいです。
聖書にはユダヤ人について書いてある
ここからが、本題です。
ユダヤ人が差別される大きな理由は聖書にあります。
もちろん、この記述はユダヤ人にとっての聖書である「旧約聖書 / ヘブライ語聖書」に書いてあるのではありません。
キリストの弟子たちの話をまとめた「新約聖書」の内容になります。
ユダヤ人差別につながったとされる該当箇所は以下になります。
Gospel of Matthew 27:24-25(マタイの福音書27章24-25節)
「キリストの死に関してユダヤ人に責任がある。」と解釈できる部分があります。
Gospel of John 8:44(ヨハネの福音書8章44節)
「キリストが『ユダヤ人は悪魔の子。』と言った」という話が出てきます。
この2点が主に、反ユダヤ主義(antisemitism)と結びつく根拠としてよく取り上げられているようです。
さて聖書の記述には、簡略化したナンバリングがあります。
それぞれ例にとると「Matthew 27:24-25」と「John 8:44」となります。
読み方は「Matthew chapter 27 verse 24 to 25」そして「John chapter 8 verse 44」と読みます。
下記のウェブサイトでは様々な聖書のバージョンを調べることができます。
検索言語は英語だけですが、日本語の聖書もふくめていろんな言語で閲覧するができるので、例文をここから引用します。
さきほどの「John 8:44」といったシンプルな記述を入力すれば、カンタンに該当箇所を見つけられます。
このブログ記事内の聖書の引用は、注釈がないかぎり上記サイトから以下の基準で行います。
- 英語 King James Version
- 日本語 Japanese Living Bible
マタイの福音書に「イエスを殺したのがユダヤ人」と書いてある
まず「ユダヤ人がイエスを殺した責任者」という記述を見ていきましょう。
その該当箇所が「マタイの福音書 Gospel of Matthew」にあります。
すこし話が長いのですが、1節から24-25節までまるごと引用します。
()の内はこちらで加えた解説です *間違い・訂正があればご指摘いただけると助かります。
Matthew 27:24-25 マタイの福音書 27章24-25節
27 さて、朝になりました。祭司長とユダヤ人の指導者たちはまた集まり、どうやってローマ政府にイエスの死刑を承認させようかと、あれこれ策を練りました。 2 それから、縛ったまま、イエスをローマ総督ピラトに引き渡しました。
マタイの福音書 27章
ユダヤ教は民族宗教なのでユダヤ人であればユダヤ教徒です。
そのユダヤ人であるイエスがユダヤ教の祭司長や指導者たちの決めたルールとは違う解釈を行って反論したり、奇跡をおこして様々な人々を救う行為が反感を買っていました。
当時のイスラエルはローマ帝国の管轄下でしたので、ローマ総督に法の権限があります。
3 ところで、裏切り者のユダはどうなったでしょう。イエスに死刑の判決が下されると聞いてはじめて、彼は自分のしたことがどんなに大それたことだったか気づき、深く後悔しました。それで祭司長やユダヤ人の指導者たちのところに銀貨三十枚を返しに行き、 4 「私はとんでもない罪を犯してしまった。罪のない人の血を売ったりして」と言いました。しかし祭司長たちは、「今さらわれわれの知ったことか。かってにしろ」と言って、取り合おうとしませんでした。
マタイの福音書 27章
ユダはユダヤ人の策略に乗り、金でイエスを密告したとされています。また別の個所には悪魔に取りつかれていたとの記述もあります。
5 それでユダは、銀貨を神殿に投げ込み、出て行って首をくくって死んでしまいました。 6 祭司長たちはその銀貨を拾い上げてつぶやきました。「まさか、これを神殿の金庫に入れるわけにもいくまい。人を殺すために使った金だから。」
マタイの福音書 27章
日本人は「死んで罪を償う」という考えがありますが、キリスト教では自殺は God にもらった命を粗末にするということで、地獄に行き、そこで永遠に苦しむことになります。
7 彼らは相談し、その金で、陶器師が粘土を取っていた畑を買い上げ、そこをエルサレムで死んだ外国人の墓地とすることにしました。 8 そこでこの墓地は、今でも「血の畑」と呼ばれています。 9-10 こうして、「彼らは銀貨三十枚を取った。それは、イスラエルの人々がその人を見積もった値段だ。彼らは、主が私に命じられたように、それで陶器師の畑を買った」(ゼカリヤ11・12―13)というエレミヤの預言のとおりになったのです。11 さてイエスは、ローマ総督ピラトの前に立ちました。総督はイエスを尋問しました。「おまえはユダヤ人の王なのか。」イエスは「そのとおりです」と答えました。
マタイの福音書 27章
イエス・キリストは人々を救う「救世主」として生まれたとされ、別の個所で「ユダヤの王」や「イスラエルの王」という呼ばれ方もされています。
12 しかし、祭司長とユダヤ人の指導者たちからいろいろな訴えが出されている時は、口をつぐんで、何もお答えになりませんでした。 13 それでピラトはイエスに、「おまえにあれほど不利な証言をしているのが、聞こえないのか」と尋ねました。14 それでもイエスは何もお答えになりません。これには総督も、驚きあきれてしまいました。15 ところで、毎年、過越の祭りの間に、ユダヤ人たちが希望する囚人の一人に、総督が恩赦を与える慣習がありました。 16 当時、獄中にはバラバという名の知れた男が捕らえられていました。 17 それでその朝、群衆が官邸に詰めかけた時、ピラトは尋ねました。「さあ、いったいどちらを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれるイエスか。」 18 ピラトがこう言ったのは、イエスが捕らえられたのは、イエスの人気をねたむユダヤ人指導者たちの陰謀だと気づいたからです。
マタイの福音書 27章
バラバは囚人です。一方、イエスは法を破っていません。
また「キリストと呼ばれるあのイエス」とありますが「キリスト」は名前ではなく「救世主 the Savior」という意味です。
19 裁判の最中に、ピラトのもとへ彼の妻が、「どうぞ、その正しい方に手をお出しになりませんように。ゆうべ、その人のことで恐ろしい夢を見ましたから」と言ってよこしました。20 ところが、祭司長とユダヤの役人たちは、バラバを釈放し、イエスの死刑を要求するように、群衆をたきつけました。 21 それで、ピラトがもう一度、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と尋ねると、群衆は即座に、「バラバを!」と大声で叫んだのでした。22 「では、キリストと呼ばれるあのイエスは、どうするのだ。」「十字架につけろ!」
マタイの福音書 27章
十字架での処刑は罪の重い人間に適応される刑罰でした。
死ぬまで十字架にかけられるため見せしめの意味が強かったようです。
23 「どうしてだ。あの男がいったいどんな悪事を働いたというのか。」ピラトがむきになって尋ねても、人々は、「十字架だ! 十字架につけろ!」と叫び続けるばかりでした。24 どうにも手のつけようがありません。暴動になるおそれさえ出てきました。あきらめたピラトは、水を入れた鉢を持って来させ、群衆の面前で手を洗い、「この正しい人の血について、私には何の責任もない。責任は全部おまえたちが負いなさい」と言いました。
マタイの福音書 27章
多神教だったローマは最初は一神教のキリスト教を認めませんでしたが、313年コンスタンティヌス帝の時代に国教にしました。
ローマがキリスト教国になったため、この聖書の記述についてもピラト個人よりも統治者としてのローマがキリストの殺害に責任がないことをあえて意図するものであるとの解釈もあります。
25 すると群衆は大声で、「かまわない。責任はおれたちや子どもたちの上にふりかかってもいい!」と叫びました。
マタイの福音書 27章
ここがユダヤ人がキリストの殺害に責任があるとされる記述です。詳しくは後述します。
26 ピラトはやむなくバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるためにローマ兵に引き渡しました。
マタイの福音書 27章
このあとイエスは処刑されてしまいます。しかし、その後、奇跡がおこり復活をとげる描写がつづきます。
以下に、内容は同じ25節ですが、英語版を2つ載せておきます。
*()内の和訳は私が勝手にやっていますので、ご了承ください。
Then answered all the people, and said, His blood be on us, and on our children.
「それから全員が答えた、キリストの血は我々と、我々の子孫に降りかかれ」
Matthew 27:25 (KJV)
King James Version は古い英語が入っているのでちょっと文法解説をします。
動詞の原形をつかう “His blood be on us” は古英語では「願望・祈願 optative」の表現です。
現代英語では動詞の原形は「命令法 imperative mood」で使いますが、そもそもの由来は「願望・祈願」と同じ形から発展しました。
All the people answered, “We will be responsible. We accept for ourselves and for our children any punishment for his death.”
全員が答えた「我々が責任をとる。我々は、キリストの死に対する自身と子供達へのあらゆる罰を受け入れる。」
International Children’s Bible
この27節24~25節の部分が「ユダヤ人によってキリストが殺された」に関する記述です。
当事者のユダヤ人だけでなく、ユダヤ民族の子孫たちまでふくめてキリスト殺害の責任をとることになってしまっています。
しかし逆のユダヤ教から見た場合は「イエスは救世主でなく God の言葉を騙り、嘘をついた」という解釈になります。
つまりそもそもイエスの扱いはユダヤ教とキリスト教で大きく乖離しているのも事実です。
「ユダヤ人によるイエスの殺害」の項目に関しては Wikipedia で独立したページもあります。
blood curse 血の呪い
Jewish deicide ユダヤ人の神殺し
deicide は一瞬迷いますが decide(決める) のミススペルではないです。dei はラテン語で「神」そして cide は「殺」 を意味しています。
イエス・キリストは人間ではなく「God が人間の姿で人々を救いに現れた」という解釈がとられています。
それゆえ、キリスト殺しは「God-killing」になります。
イエス・キリストの名前の意味について詳しく知りたい場合はこちらをどうぞ。
ちなみにラテン語で「God」は「Deus」なのですが、ラテン語は名詞が英語の代名詞(I my me mine)のように文法的役割に合わせて変化します。
ですので deus / dei / deum などすべて同じ意味です。
ヨハネの福音書に「イエスが『ユダヤ人は悪魔の子』と言った」と書いてある。
キリストの殺害の話に加えて、もう一つ、反ユダヤ主義(antisemitism)と結びつく記述が聖書にあります。
キリストが「ユダヤ人を悪魔の子」と呼ぶ場面が、ヨハネの福音書8章44節にあります。
以下は、キリストがユダヤ人に話しかける場面で始まります。内容は38節~44節を引用します。
Gospel of John 8:44 ヨハネの福音書8章44節
38 せっかくわたしが父といっしょにいた時に見たことを話してあげているのに、あなたがたは自分の父の言いつけに従っているだけです。」 39 「私たちの父はアブラハムです。」彼らは言いました。
ヨハネの福音書8章
いきなりですが、日本語では意味が分かりにくいと思います。
キリストのいう「父」は英語版では my Father(F が大文字)となります。「父なる主」つまり God のことです。
そしてユダヤ人にむけての「自分の父」は your father(f が小文字)で、文字通りユダヤ人の父親のことです。
さきほどの the Book もそうですが、キリスト教の文脈で大文字で始まる単語は要注意です。
「いや、あなたがたの父がアブラハムだったら、彼の良い模範にならったはずです。 40 ところが、どうです。反対にわたしを殺そうとしているではありませんか。しかもその理由は、わたしが神から聞いた真理を語ったからというのです。アブラハムなら、そんなことは絶対にしなかったでしょう。 41 そんなことをするのは、あなたがたが、あなたがた自身の父に従っているからです。」「私たちの真の父は、神ご自身です。私たちは私生児ではありません。」 42 「ほんとうにそのとおりなら、わたしを愛したはずです。わたしは神のもとから来たのですから。自分の考えで、今ここにいるのではありません。父がここにお遣わしになったのです。 43 わたしの言うことがわからないのも、むりはありません。理解できないようにされているのですから……。
ヨハネの福音書8章
アブラハムは God の言葉を聞き、民衆に伝えた預言者(prophet)です。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は共通してアブラハムを預言者としています。
それゆえ、これらの宗教をまとめた言い方で Abrahamic religions アブラハムの宗教 呼ばれたりもします。
44 あなたがたの父は悪魔です。悪魔の子が悪魔の悪い行いを喜んでまねても、不思議ではありません。悪魔は初めから人殺しで、真理をきらっています。悪魔のうちには真理の一かけらもありません。悪魔がうそをつくのは当然です。うそつきの大もとなのですから。
ヨハネの福音書8章
ここでは「あなたがた(ユダヤ人)の父は悪魔です。」となっています。これはキリスト自身の言葉なので、大きな意味をもつと推察します。
聖書の記述が事実かどうかは別として、聖書を信じる人々にとってイエスの言葉によって影響を受けないほうが困難といえるはずです。
「キリストが~といった」というのは弟子の話で、学術的にいえば歴史的事実かどうかの保証はないでしょう。
ですが、聖書の記述を真理・事実として、実際の行動や思考に反映させる人たちが少なからずいます。
どんな宗教・信仰・思想であれなんであれ、なにかを絶対的真理とするのを「原理主義 fundamentalism」といいます。
原理主義者の行動は「なにを絶対視しているか?」を知れば、おおよそ想像がつきます。
こういった信仰や宗教の知識は知っているだけで役に立つと思います。
話は変わりますが、聖書だけでなく、本人の記述が弟子によってまとめられた書物が後世に伝わっているものはよくあります。
たとえば孔子であれば、論語が有名です。これは「子曰 しいはく(My Master has spoken)」で始まります。
論語の英訳も「Analects of Confucius 孔子語録」となっています。
お釈迦様の言葉を弟子が話す形式になっている法華経(Lotus Sutra)も「如是我聞 にょぜがもん(Like this I have heard)」で始まるお話があります。
プラトン(Plato)の著書でも、ソクラテス(Socrates)が語り手として対話する形式になっているものが多くありますが、ソクラテス自身は著書を残していません。
なぜ差別されるユダヤ人がお金持ちになれたのか?(後編へ)
このブログは前編・後編構成の「前編」になります。
差別されたユダヤ人がお金持ちになれた理由を知りたい方は「後編」もご覧ください。
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